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人生とはエロスと野望に満ちている

ゲームの事とか毒吐きとか・・ ときどき過去のものも整理したりしています

   
カテゴリー「過去」の記事一覧

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思い出にかわるまで~2004/10/06

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久しぶりに見えたアオ色。
少し灰色が混じって
とても澄んでて 
ずっと上を見上げてたよ。

私の瞳はアオに染まって

少しの間、心に巣食う魔物は消えていたと思う・・。

と ん ぼ

「とんぼだ!」って叫んでた・・
子供みたいでしょ(笑)

だってたくさん飛んでいたんだもの。
秋なんだな・・って季節を感じたよ。

ベランダに止まってくれないかな?
心で祈っていると
ほんとに止まったー
なんかモジモジしてるように見える(笑)

しばらく見てても逃げていかないので
携帯を取りにいって パシャリ

この私の・・今の気持ち

この写真を見ればきっと分かってくれるわ。
遠くにいる 大切な人のとこへ飛んでいけ

時間を置かずに
ステキな写真がお返しに送られてきた。

ポカポカとしたベランダで眠る2匹のニャンコ。



もぅ・・それ見て泣けた。




19:07
タイトル「私の瞳の中のアオと心の闇と」

何も言わなくても
ああ、この人がいるだけで本当に安心できるなって思えた

そういう友達です。

 

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少年のレクイエム~2003年10月24日

0a408044.JPG

今世紀最後の天使のうた声とうたわれた、天才ソリスト、コナー・バロウズ。

少年コナー。彼の銀色に輝く透明感あふれる歌声を一度聞いてみるといいYO。

汚れのない、とびきり美しい声をもつボーイ・ソプラノの少年たち。

「少年のレクイエム」は、古今の作曲家の手になる名作「レクイエム」から・・。

レクイエム。人間の尊厳への信仰告白として書かれたもの、家族や知人の死を悼んだ心情をうたいあげたものなどさまざまですが、いずれも輝かしい力にみち、調和した美しさにあふれる旋律が、曲のいたるところで聴かれます。

「天使のうた声」や「うたの天使」にたたえられるボーイ・ソプラノの魅力の一端は未成熟の声帯の発する独特の美しさにあるともいえますが、このアルバムで は、コナー・バロウズのボーイ・ソプラノとして最高に磨き上げられた美しい声で、祈りの歌あるいは宗教的な音楽であるレクイエムのなかの曲がうたわれま す。



「レクイエム」゛死者のためのミサ曲゛別れの曲・・

ここでは、いつしか変声期を迎え、失われてしまうかもしれないこのボーイ・ソプラノの歌声の貴重な最後の輝きに別れを告げる曲としてではなく、少年が青年に生まれ変わるような、夢と希望にみちた輝かしい未来へ旅立つ曲としてとらえています。



私は、C.グノーのベネディクトゥスを聴くと涙がでてきます。
このレクエイム ハ長調は、1893年の作で、孫の死を追悼するために書かれたもので、これを書きあげてグノー自身も世を去りました。とても甘美な曲です。


の日記より
 

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Five years before

My friend

親に対する最初の印象的な記憶が
その人の愛情に対する基本的な考え方につながっている、と
本で読んだことがある。


最初の記憶かわからないが
私が覚えているのは、子どもプールで頭を打ったときのことだ。
3歳ぐらいだった。

その瞬間の頭の痛みは覚えていない。
ただ
自分の感覚が麻痺していく中で
周りの状況を冷静に見ている自分がいた。


父が私の髪をかきわけて
「これは大変だ」
と言ったことをはっきりと覚えている。
きっと、血がかなり流れていたのだと思う。

そのまま病院に運ばれ、頭を縫われた。
手術中は痛みを感じたことを覚えているが、
ほとんど泣かなかったので
終わってから医者や看護婦にほめられた。

頭から血を流して縫い終わるまでの間
まったく不安を感じなかったのは
おそらく、父の最初の一言があったからだと思う。

 
この人が本気になってくれているから大丈夫だ、と。

守られていると感じたのだ。


 

人を好きになるのは簡単で
会っているときだけ好きになるのはもっと簡単だ。

けれど、人を守るのは、
そして守っていることを相手に感じさせるのは、容易ではない。


彼氏彼女や夫婦という約束された関係にありながら
相手の気持ちに不安を感じることがあるのは
「守られている」
という感覚が薄いからかもしれない。

自分が血を流したとき、流しそうなとき
この人は迷わず行動してくれるという確信を持てず
もしかしたら腰が引けてしまうのではないか、という不安だ。


そう考えてわが身を振り返ると
いままで自分のことを好きになってくれた人はいても、
守ってくれた、あるいは見守ってくれた人がいたかどうかは、怪しい。

そして、自分も
相手を好きだと思っていたつもりでも
見守っていたかどうかは、やっぱり怪しい。
見守っていたい、とは思っていたかもしれないが。



幼い頃の記憶が示すものを信じるなら
相手に守られ、相手を守るという
エゴを超えた信頼関係を築けなければ
自分はいつまでも物足りなさを感じているのだろうなと改めて思う。

 

愛情のようなものをなんとなく示し合う関係は
それなりの栄養にはなるが

安眠できるほどお腹は満たされないのだ、と。



私の大好きなお友達の日記
時々読み返したくなる

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